【5月6日 AFP】1978年のサッカーW杯(1978 World Cup)でアルゼンチン代表を初優勝に導き、「最大級の喜び」と表される偉業を達成した指導者のセサール・ルイス・メノッティ(Cesar Luis Menotti)氏が、85歳で死去した。アルゼンチンサッカー協会(AFA)が5日に発表した。

 メノッティ氏は37年に及ぶ指導者キャリアで11クラブの監督を務め、中には2回以上率いたクラブもある。代表ではアルゼンチンとメキシコを指揮した。

 人々の記憶に最も残っているのは、母国開催となった1978年のW杯アルゼンチン大会優勝で、当時は抑圧的な軍事政権に支配されていた同国にトロフィーをもたらした。

 決勝では延長戦の末に3-1でオランダを撃破。W杯出場を拒否したヨハン・クライフ(Johan Cruyff)を欠くオランダに対し、大会最優秀選手(MVP)に輝いたマリオ・ケンペス(Mario Kempes)が2ゴールを挙げた。一方でメノッティ氏は、前年に代表デビューを果たしていた当時17歳のディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)をメンバーに選出しなかった。

 メノッティ氏死去の知らせを受け、アルゼンチンのハビエル・ミレイ(Javier Milei)大統領はX(旧ツイッター)に「わが国最大級の喜びをもたらしたチームリーダーの旅立ちは痛恨だ」と書き込んだ。

 メノッティ氏は、メキシコでも好意的に記憶されている。代表は1991年から1992年、クラブチームは2006年から2007年にかけてECプエブラ(El Club Puebla)とテコス(El Tecos FC)を率い、これが監督としての最後の仕事になった。

 スペイン1部リーグの強豪FCバルセロナ(FC Barcelona)も1983年から1984年に指揮し、国王杯(Copa del Rey)とスーパーカップ(Spanish Super Cup)のタイトルを獲得した。

 バルセロナもメノッティ氏の死を悼み、「当クラブの元監督であるセサール・ルイス・メノッティの死を受け、哀悼の意を示したい。安らかに」と記した。(c)AFP